磯部神社では、実に49柱(内、不詳12柱)の祭神をお祀りしております。

天照大御神と素戔嗚尊の誓約の際、生まれた五皇子の長男。「マサカツアカツ」は「正しく勝った、私が勝った」の意、「カチハヤヒ」は「勝つこと日の昇るが如く速い」または「素早い勝利の神霊」の意で、誓約の勝ち名乗りと考えられる。「オシホミミ」は威力(生命力)に満ちた稲穂の神の意である稲穂の神、農業神として信仰されている。

天照大御神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされた。「ホヒ」を「穂霊」の意味として稲穂の神とする説と、「火日」の意味として太陽神とする説がある。

天照大御神とその弟の素戔嗚尊が誓約を行なった際に、生まれた神々の1柱。各地の有力な氏族の祖とされており、「アマツヒコ」は「天の太陽の子」の意味とされる。

誓約によって生まれた五男三女の男神で、天照大神が左手に巻いていた玉から生まれたとされる。イクツヒコネの「イク」は植物が芽吹く意味。ヒコは「日の子」で太陽の子という意味。イクツヒコネも農業関係の神と考えられる。

神名の「クスビ(クスヒ)」は「奇し霊」(神秘的な神霊)もしくは「奇し火」の意と考えられる。「クマノ」は熊野のことであり、出雲の熊野大社(島根県松江市)のこととも、紀伊の熊野三山のことともされる。熊野大社の現在の祭神は「熊野大神櫛御気野命」であるが、元々の祭神はクマノクスビであったとする説がある。

神名の「タキリ」は海上の霧(きり)のこととも、「滾(たぎ)り」(水が激しく流れる)の意で天の安河の早瀬のこととも解釈される。

神名の「タギツ」は「滾(たぎ)つ」(水が激しく流れる)の意で、天の安河の早瀬のことと解釈される。

市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている。後の時代の神仏習合においては本地垂迹では弁才天に比定され、同神とされた。

神名の「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や(高天原でのスサノヲの行いは暴風雨の被害を示すとする)、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説。八岐大蛇を退治し,すくった奇稲田姫と結婚し出雲の祖神となる。日本初の和歌を詠んだり、木の用途を定めたりなど文化英雄的な側面もある。

伝承上の伊勢の神宮の初代大神主。天日別命の子孫。度会氏の祖先神。倭姫命が天照大神を伊勢神宮にしずめまつったとき,南伊勢(三重県)の豪族として協力したため,神国造と神宮の大神主に任じられた。別名に大若子(おおわくご)命。伊雑宮創建に尽力、現在、磯部町にその子孫が現存する。

 『古事記』では神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされる。スクナビコナは、国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。酒造に関しては、酒は古来薬の一つとされ、スクナビコナが酒造りの技術を広めたことと、神功皇后が角鹿(敦賀)より還った応神天皇を迎えたときの歌に「少名御神」の名で登場することから、酒造の神であるといえる。スクナビコナは、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗って波の彼方より来訪し、国土造成、オホナムチ(大己貴)大神の命によって国造りに参加した。

神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。山の神であるオオヤマツミは林業や鉱山関係者に崇拝され、山から下りてきて恵みをもたらすともされることから里山農業では田の神ともされる。

日本神話で、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨の際、天八衢(あめのやちまた)にいて天上天下を照らしていた神。鋭い僻邪視(へきじゃし)をもつ道祖神や、太陽神のおもかげが予見できる。内宮の興玉神とも同一視される。さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたほか、垂加神道では「導きの神」として神道の「教祖」とされるなど複雑な神格を持つ。

神武天皇は即位前は神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)といい、彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の四男(または三男)である。生まれながらにして明達で、強い意志を持っていた。

古事記などによると、八幡さま(誉田別命)は筑紫国(福岡県)で生まれ、大和に戻り母の神功皇后の摂政のもと皇太子となり、皇后の死後に第十五代天皇に即位。四十一年の治世には、百済からの3人の帰化人を受け入れたり、中国の文芸や工芸を積極的に導入するなど、優れた治世を行ったとされ、日本の文化の基礎を築いたそうです。日本文化の基礎を築き、八幡信仰の祭神として「八幡さま」で親しまれ中世以降、八幡信仰は発祥地の宇佐八幡宮(大分県)、石清水八幡宮(京都府)、源頼朝が創祀した拡大発展拠点の鶴岡八幡宮の三社を核として全国に広がりました。武家の棟梁・源氏の守護神となったことで、各地の武士層から庶民へ浸透していきました。戦前までは武神として崇められていました。戦後から平和観念が浸透していくなかで、教育や縁結びなど日常生活に根ざした諸願成就の神へと変化していきました。

タマヨリビメ(タマヨリヒメ、玉依姫)は霊(たま)の憑(よ)りつく巫女、神。『古事記』は玉依毘売命、『日本書紀』は玉依姫尊と表す。綿津見大神(海神)の子で、豊玉姫の妹である。神霊を宿す女性・巫女。 日本神話で、海の神の娘。ウガヤフキアエズノミコト(鸕鷀草葺不合尊)の妃となり、四子を産んだ。末子は神武天皇(カンヤマトイワレビコノミコト、神日本磐余彦尊)。

神産みの段でイザナギ・イザナミ二神の間に産まれた男女一対の神で、水戸神はその総称である。『「水戸神」とはすなわち港の神の意味である。古代の港は河口に作られるものであったので、水戸神は河口の神でもある。川に穢を流す意味から、祓除の神ともされる。神名の「ハヤ」は川や潮の流れの速さを示し、かつ、河口の利用は潮の流れの速さに左右されることから出た神名とみられている。また、「アキツ」は「明津」で、禊によって速やかに明く清まるの意とする解釈もある。

「大祓詞」では、川上にいる瀬織津比売神によって海に流された罪・穢を、「荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開津比売(はやあきつひめ)と云ふ神」が呑み込んでしまうと記されている。

イシコリドメまたはイシコリトベは、日本神話に登場する神である。作鏡連(かがみづくりのむらじ)らの祖神。岩戸隠れの際に八咫鏡を作った。名前は、石(イシ)の鋳型を用いて鏡を鋳造することに精通した(コリ)特別の女性(トメまたはトベ)の意味である。鋳物の神・金属加工の神として信仰されている。

別名、饒速日命(にぎはやひのみこと)。日本神話に登場する神。『日本書紀』では饒速日命、『古事記』では邇藝速日命と表記する。天照国照彦火明櫛玉饒速日命ともされる。物部氏、穂積氏、熊野国造らの祖神と伝わる。

日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神である。『古語拾遺』、『日本書紀』、『播磨国風土記』に登場する。ひょっとこ(火男)の原型とも伝えられている。

日本神話のヤマタノオロチ退治の説話に登場する夫婦神である。『古事記』では足名椎命・手名椎命、『日本書紀』は脚摩乳・手摩乳と表記する。 

日本神話のヤマタノオロチ退治の説話に登場する夫婦神である。『古事記』では足名椎命・手名椎命、『日本書紀』は脚摩乳・手摩乳と表記する。 

名前の「ミカヅチ」はイカヅチ雷に接頭語「ミ」をつけた「ミ・イカヅチ」の縮まったものであり、雷神は剣の神でもある。また、別名のフツ神は本来は別の神で、『日本書紀』では葦原中国平定でタケミカヅチとともに降ったのは経津主神であると記されている。雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されている。

イザナギが所有する神剣(十束剣)。 日本神話は、天之尾羽張(伊都之尾羽張神、稜威雄走)・タケミカヅチ(建御雷神)の二柱とも、剣の神霊であることを表している。 なお「尾羽張」は「尾刃張」で、鋒の両方の刃が張り出した(切先が幅広くなった)剣の意味である。「雄刃張」で、刃全体が鋭利であることを意味するとも。「天」は高天原に関係のあるものであることを示す。 「伊都」「稜威」(いつ/いづ)は、神の威力盛んな様子を意味する。 古事記で「伊都之尾羽張神」が天之安河の水を堰き止めていた事から、山が張り出した尾根を意味するとも。 「雄走」(をはしり)は「鞘走る」(さおはしる)の意で、鋭利な刃・刃のひらめきが鋭く走る様子を示す。 なお「羽々」(はば)で大蛇を意味する。

『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。伊雑宮創建にも尽力したとされている。

古語拾遺』などでは高皇産霊尊(たかみむすび)の子と記されている。岩戸隠れの際、思兼神が考えた天照大神を岩戸から出すための策で良いかどうかを占うため、天児屋命とともに太占(ふとまに)を行った。 そして、八尺瓊勾玉や八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。天孫降臨の際には、瓊瓊杵尊に従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴した。『日本書紀』の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれている。天児屋命(アメノコヤネ)と共に祭祀を司どる神である。 占いの神、神事の神として信仰されている。

 「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。猿女君・稗田氏の祖とされ、稗田氏の氏神である賣太神社では、芸能の始祖神、福の神、おたふく、おかめ、等と称すると伝わる。芸能・技芸全般の神として信仰されておる。天の岩戸の前における「巧みに俳優をなす」彼女の行為は、神への祭礼、特に古代のシャーマン(巫)が行ったとされる神託の祭事にその原形を見ることができる。いわばアメノウズメの逸話は古代の巫女たちが神と共に「笑ひゑらぐ」姿を今に伝えるものである。

豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受大神として知られている『古事記』では伊弉冉尊(いざなみから生まれた稚産霊(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(倉稲魂命)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。

天照大御神の命により、ニニギノミコトは葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたという。さらに、三種の神器(八尺瓊勾玉、八咫鏡、天叢雲剣)と思金神、手力男神、天石門別神を副え、「この鏡を私(天照大御神)の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」(「邇邇藝命者 此鏡者同我御魂 欲祭此者 當如拜吾前 尊崇而祭之 次 思金神者 取持前事 輔其為政」『古事記』)と言った。「ににぎのみこと」と書かれる。「アメニギシクニニギシ」(天にぎし国にぎし)は「天にも地にも親和的である」の意。「アマツヒコ」(天津日高)は神をたたえる美称であり、高天原と関わる神であることを示す。「ヒコ」(日子)は日神である天照大御神の嫡流の男子であることを示す。「ニニギ」は稲穂がにぎにぎしく成熟することの意。「ニニギ」は「ニギニギしい」の意で、「にぎやか」と同語源である。神話上ニニギの一族とされている上述の天忍穂耳尊や火照命・火闌降命・彦火火出見尊とは名前に稲穂の「ホ」がある点で共通している。農業の神として信仰されている。

名前は「天の手の力の強い男神」の意であり、腕力・筋力を象徴する神であることがうかがえる。力の神、スポーツの神として信仰されている。

天照大神(アマテラス)の孫であるニニギノミコト(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻。オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)の娘。コノハナノサクヤビメは木の花(桜の花とされる)が咲くように美しい女性の意味とするのが通説である。コノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとしている。また、妻の守護神、安産の神、子育ての神とされている。

彦火火出見尊(山幸彦)と、海神の娘である豊玉姫の子。神武天皇の父にあたる。 盧茲草葺不合尊は、他の天皇につながる神と同様に農業の神として信仰されるほか、上記の説話から夫婦の和合、安産などの神徳もあるとされる。

天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。オノゴロ島におりたち、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。その中には淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。名前の「いざ」は「誘う(いざなう)」の意と考えられるが、諸説ある。ちなみに「な」は助詞、「み」は女性を表す語である。別名の黄泉津大神(よもつおおかみ)は黄泉国の主宰神の意、道敷大神(ちしきのおおかみ)は(黄泉比良坂でイザナギに)追いついた神という意味である。

熊野速玉大神(いざなぎのみこと)イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)の兄であり夫。天地開闢において神世七代の最後にイザナミとともに生まれた。そして高天原の神々に命ぜられ、海に漂っていた脂のような国土を固めるべく、天の浮き橋から矛で海をかき回し、出来上がったオノコロジマにてイザナミと結婚した。国産み・神産みにおいてイザナミとの間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島をはじめ大八洲(本州・四国・九州等)の島々、石・木・海(オオワタツミ・大綿津見神)・水・風・山(オオヤマツミ・大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれるイザナギが黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」で禊を行なうと様々な神が生まれた。最後に、左眼からアマテラス(天照大神)、右眼からツクヨミ(月夜見尊月読命)、鼻からスサノオ(建素戔嗚尊速)の三貴子が生まれた。イザナギは三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。「いざな」は「誘う(いざなう)」の語根で、「ぎ」は男性を表す語。「いさ」は「功徳」の意の「功(いさを)」の語根で、「き」は男性を表す語

樹木を支配する神とされ,素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別名ともいわれる。ケツミコは「木津御子」で,樹木の神の意。櫛御気野命の子に五十猛命という神がいて,この神が紀伊国に木種を撒いたという伝承から命名されたらしい。